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東京地方裁判所 平成3年(ワ)6873号 判決

主文

一  被告は各原告に対し、別紙(一)債権目録記載の各金員及びこのうち別表整理番号1ないし46各記載の各「請求金額」欄の金員に対するこれに対応した各「支給年月日」欄の日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  別紙(二)定年表記載の各原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、各原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  請求

一  主文一項と同旨

二  被告は、別紙(二)定年表記載の各原告に対し、平成六年七月から同表記載の各「終期」まで、毎月二〇日限り、それぞれ当該原告に対応する別表整理番号各記載の各「月例賃金分」の各「支給年月日」欄平成六年六月二〇日の各「請求金額」欄の金員及びこれに対する右支払日の翌日から支払済みまで年六分の割合による金員をそれぞれ支払え。

第二  事案の概要

本件は、業績悪化に対応した合理化策の一環として経費削減を図るため賃金(含む退職金、以下同じ)を一方的に減額支給された被告の従業員らが被告に対し、この措置は無効であるとして減額支給前の賃金との差額を請求した事案である。

一  争いのない事実

1  当事者関係

被告は、アメリカ合衆国法により設立された銀行(平成二年六月三〇日時点での資本金は七億八九〇〇万米ドル)であり、肩書地に本店を置くほか、世界各地に支店を有しており、日本国においても、東京支店(昭和二二年に開設、従業員数約四〇〇名)及び大阪支店(昭和二四年に開設、従業員数約一四名)を開設している。

原告らは、いずれも被告に雇用され、従業員として勤務している(但し、番号3、4、9、11ないし13、15、16、20、21、29、35、43及び44の各原告は、それぞれ当該原告に対応する別表整理番号に記載の年月日に退職した。)。

なお、番号1ないし8の各原告は、いずれも被告が昭和六一年末まで開設していた在日米軍基地内支店に勤務していた従業員らをもつて組織された労働組合であるチェースマンハッタン銀行基地内支店従業員組合(組合員数八名)の組合員であり、番号9ないし42の各原告は、いずれも東京支店の従業員をもつて組織された労働組合であるチェースマンハッタン銀行東京支店従業員組合(組合員数五八名)の組合員であり、番号43ないし46の各原告は、いずれも大阪支店の従業員をもつて組織された労働組合であるチェースマンハッタン銀行大阪支店従業員組合の組合員である。

そして、右三組合は、いずれも上部団体である外国銀行従業員組合連合会に所属している。

2  被告における賃金制度

被告が各原告に対して支給する毎月の賃金(以下、これを「月例賃金」という。)は、基本給と諸手当(資格手当、職位手当、家族手当、交通手当、昼食手当、住宅手当、特別手当等)から構成されており、毎月二〇日(この日が休日に当たる場合は繰上がる。)が支給日となつている。

(一) 基本給は、各従業員に格付けられた資格に基づいて上限額及び下限額が定められている。

すなわち、オフィサー以外の一般の従業員は、上位から、副参事、主事、副主事二級、副主事一級、事務三級、事務二級、事務一級の七段階のいずれかの資格に格付けられているが、この各資格段階ごとに、金額の少ない順に第一分位から第四分位までの四段階に賃金の枠(以下、この賃金の枠を「レンジ」という。)が設定されている。

各従業員は、その資格に応じた四段階のレンジのいずれかに格付けされ、原則として、当該レンジについて定められた上限額と下限額の範囲内の額の基本給を支給される。例えば、副主事の各レンジについて定められた基本給額の範囲は次のとおりである。

第一分位 一九万〇〇〇〇円~二五万七四九九円

第二分位 二五万七五〇〇円~三二万五四九九円

第三分位 三二万五五〇〇円~三九万二四九九円

第四分位 三九万二五〇〇円~五〇万〇〇〇〇円

なお、この資格及びレンジによつて基本給を定める制度が導入されたのは昭和六三年であつたが、これ以前に既に基本給額が各資格における最高額を上回つていた従業員については、なお引き続き従前と同額の基本給が支給された。このため、原告らの中には、格付けられた資格について定められた額よりも多額の基本給を支給されている者もあつた。

(二) 資格手当は、各従業員に格付けられた資格に従つて金額が定められている。

(三) 職位手当は、従業員のうち課長代理以上の監督的地位にある者(原則として、主事以上の資格に格付けされた者がこれに任命される。)、専門職的な地位にある者(以下、これらの地位を「職位」という。)について、それぞれ地位に応じて金額が定められている。

(四) 特別手当は、各従業員が負担すべき社会保険料について、被告がこれを補助する趣旨で、その実額相当分を支給するものである。

(五) その他の諸手当は、資格や職位とは関係なく、所定の要件を備えた従業員に対し所定額を支給することとなつている。

3  賃金協定による賃金基準(含む賃金額、以下同じ)改定

被告は、原告ら組合員の賃金基準については、毎年原告ら所属の各組合との間で、四月一日から翌年三月三一日までの一年間を有効期間とする賃金協定を締結し、これによつた賃金基準に従い賃金を支給してきた。ところが、被告と右各組合との間には、昭和六三年一〇月一三日に同年度の賃金協定が締結されたものの、平成元年度以降は、合意が成立しないため賃金協定が締結されていない。しかし、被告は、原告らに対する平成元年度の賃金について、非組合員に対すると同等の改定をなしたとして、これに従つた賃金を支給してきたが、平成二年度以降については、非組合員についてのみ昇給を実施し、原告らについては右各組合との間に賃金協定が締結されていないことを理由に昇給をさせていない。

別表整理番号1ないし46各記載の各「月例賃金分」の各「支給すべき金額」欄の「基本給」、「資格手当」、「職位手当」は平成元年四月一日当時と同額の月例賃金を表示したものである。

4  被告の業績悪化

(一) 昭和六〇年代以降、全世界的な規模で、金融界の再編成が引き起こされ、銀行業務をめぐる環境は極めて厳しいものとなつた。その主な要因は、アメリカ合衆国における預金金利の自由化に端を発したノン・バンクとの競争の激化、イギリス王国における証券売買手数料の自由化に端を発した証券業務分野での競争の激化、国際決済銀行が自己資本比率規制を決定したことに伴う銀行間の競争の激化等であつた。

被告は、右のような状況の下で、証券業務を手掛けるほか、リスクは大きいものの収益率の高い大型企業買収や不動産向け融資の業務に積極的に進出した。

(二) しかしながら、中南米諸国に対する債権が債務国の経済低迷により回収困難になり、当該債権の償却の負担を余儀なくされたことや、アメリカ合衆国の経済の減速により多額の不動産融資が焦げ付いたことにより、被告の資産内容は、平成元年以降、急激に悪化した。

この結果、平成元年一二月末で資産規模は全米第二位であつたにもかかわらず、時価総額では大手一〇行中最下位にまで転落し、また被告の信用度の格付けも昭和五七年には最上級のトリプルAであつたのが、平成二年九月には最下位寸前の評価にまで低下し、このまま放置すれば買収、合併の危機が懸念されるまでに至つた。

(三) 被告の在日支店の経営状況も、金融の自由化に伴い東京市場における競争が激化したことや、昭和五五年に使途無制限の外貨貸付が自由化され、邦銀が参入したことにより競争が激化したこと等により悪化し、平成元年度では一〇億〇二〇〇万円の損失を計上した。

5  被告の合理化計画

(一) 被告の株式の一〇〇パーセントを有する、いわゆる持株会社であるチェース・マンハッタン・コーポレーションは、平成二年六月二〇日、被告の業績悪化に対応するため、世界的規模で被告の合理化を実施することを決定した。その内容は、年間三億米ドル(当時の為替レートによる換算で約四五〇億円)の経費を削減するという大規模なものであり、その施策の骨子は次のとおりであつた。

(1) 総従業員約四万二〇〇〇人の一二パーセントに当たる約五〇〇〇人の人員削減

(2) 三億五〇〇〇万米ドルの特別費用計上

(3) 不動産及び有価証券の売却

(4) 業務部門の再編成、効率化

(5) 株主に対する利益配当金の減額(約五二パーセント)

(二) 被告の在日支店においても、右の決定を受けて、人員削減と大幅な補充削減、優良資産の償却、業務の海外への移管と在日支店内組織の再編成による効率化等の施策により、年間一〇〇〇万米ドルの経費削減を図るという合理化計画(以下「本件合理化」という。)を策定し、実施することとした。

6  原告らに対する賃金調整

被告らは、平成三年一月以降、さらに本件合理化の一環として経費削減を図るために賃金調整をすることとし、各原告の同意を得ることなく、各原告の賃金を一方的に減額して支給した(以下、この賃金減額支給措置を「本件賃金調整」という。)。

なお、被告は、本件賃金調整を実施するに先立ち、原告ら所属の各組合との間で交渉をしたが、これら三組合はいずれも絶対反対を唱えるのみで実質的協議には至らなかつた。

(一) 本件賃金調整は、次のとおりの操作を経て実施された。

なお、別表整理番号1ないし46各記載の各「月例賃金分」の各「実際支給額」欄最上段の「基本給」、「資格手当」、「職位手当」の金額は、被告が各原告に対し、本件賃金調整実施後最初に支給した賃金である。

(1) 副主事以上の資格者全員を対象にその資格を見直し、平成三年一月一日付で各従業員の格付けを決定した。この結果、原告らのうち三五名について、その能力等がそれまで格付けられていた資格の基準に達しないとして新たに資格を下位に格付けし直して資格手当を減額し、残る一一名については、資格の見直しはしなかつたものの、各賃金が被告の設定した基本給レンジ内に収まるようにした。

(2) 右(1)の結果、各原告の従前の基本給額は当該資格について定められた最高額を上回ることとなつたので、原告ら全員について、基本給を各資格における第四分位のレンジの下限額に引き下げた。

(3) 右(1)の結果、職位を失つた原告八名に対しては、職位手当の支給をしないこととした。

(4) 右(1)ないし(3)の結果、各原告の社会保険料負担額が減少するので、これに合わせて、平成三年五月以降の特別手当を減額することとした。

(5) 右(1)ないし(4)の結果、総年収額が平成二年と比べて三五パーセントを超えて減額となる原告については、生活設計に与える影響を考慮して基本給額を再調整して減額の幅が三五パーセント以内に収まるようにした。

(二) 各原告の賃金は、平成元年四月から本件賃金調整実施前まではそれぞれ別表整理番号1ないし46各記載の各「月例賃金分」の各「支給すべき金額」欄と同構成同額であつた(以下、この賃金を「本件賃金調整前の賃金」という。)が、本件賃金調整実施後の平成三年一月から平成六年六月まで(本件口頭弁論終結時まで)は右各「月例賃金分」の各「実際支給額」欄のとおりとなり(以下、この賃金を「本件実際支給賃金」という。但し、平成六年四月から同年六月までについては弁論の全趣旨により認められる。)、本件賃金調整前の賃金と本件実際支給賃金との差額は右各「月例賃金分」の各「請求金額」欄のとおりである(以下、これを「本件請求差額賃金」という。)。

(三) 各原告が本件賃金調整後本件口頭弁論終結時までに支給された一時金(以下「本件支給一時金」という。)の支給年月日及び支給額は別表整理番号1ないし46各記載の各「一時金分」の各「支給年月日」欄及び各「実際支給額」欄のとおりである。

(四) 番号4、9、12、13、15、21、29、35及び44の各原告は、本件口頭弁論終結時まで、それぞれ当該原告に対応する別表整理番号各記載の各「選択一時金分」の各「実際支給額」欄の退職金(以下「本件支給選択退職金」という。)を同整理番号各記載の各「支給年月日」欄の年月日に支給された。

(五) 番号4、29及び44の各原告は、本件口頭弁論終結時まで、それぞれ当該原告に対応する別表整理番号各記載の各「退職年金分」欄の各「実際支給額」欄の退職年金(以下「本件支給退職年金」という。)を同「退職年金分」欄の「支給年月日」欄の年月日に支給された。

7  請求の内容

(一) 月例賃金

各原告は被告に対し、本件賃金調整前の賃金と本件口頭弁論終結時までの本件実際支給賃金との差額の本件請求差額賃金及びこの差額賃金に対し、これに対応する別表整理番号1ないし46各記載の各「月例賃金分」の各「支給年月日」欄の日の翌日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求め、

未だ退職していない別紙(二)定年表記載の各原告は被告に対し、本件口頭弁論終結時以後の平成六年七月から同各原告が定年に達する同表記載の各「終期」まで、毎月二〇日限り、それぞれ当該原告に対応する別表整理番号各記載の各「月例賃金分」の各「支給年月日」欄平成六年六月二〇日の各「請求金額」欄と同額の差額賃金及びこれに対する右支払日の翌日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

(二) 一時金

各原告は被告に対し、本件賃金調整前の賃金に基づき別表整理番号1ないし46各記載の各「一時金分」の各「同上計算式」欄の計算式によつて算出される右各「一時金分」の各「支給すべき金額」欄の一時金と本件支給一時金との差額の右各「一時金分」の各「請求金額」欄の差額一時金及びこの差額一時金に対し、これに対応する右各「一時金分」の各「支給年月日」欄の日の翌日から支払済みまで前記同様の遅延損害金の支払を求める。

(三) 選択一時金、退職年金

定年により退職した原告らのうち番号4、9、12、13、15、21、29、35及び44の各原告は被告に対し、本件賃金調整前の賃金に基づきそれぞれ当該原告に対応する別表整理番号各記載の各「選択一時金分」の「同上計算式」欄の計算式によつて算出される右各「選択一時金分」の各「支給すべき金額」欄の選択一時金と本件支給選択退職金との差額の右各「選択一時金分」の「請求金額」欄の差額退職金及びこの差額退職金に対し、これに対応する右各「一時金分」の「支給年月日」欄の日の翌日から支払済みまで前記同様の遅延損害金の支払を求める。

右原告らのうち、番号4、29及び44の各原告は被告に対し、本件賃金調整前の賃金に基づきそれぞれ当該原告に対応する別表整理番号各記載の各「退職年金分」の各「支給すべき金額」欄の退職年金と本件支給退職年金との差額の右「退職年金分」の「請求金額」欄の差額退職年金及びこの差額退職年金に対し、これに対応する右「退職年金分」の各「支給年月日」欄の日の翌日から支払済みまで右同様の遅延損害金の支払を求める。

以上の詳細な内容は、別表整理番号1ないし46各記載のとおりである。

二  争点

本件賃金調整の有効性にあり、この点に関する双方の主張は次のとおりである。

(原告ら)

1 被告の主張する賃金規定六条は、昇給について定めたものにすぎず、賃金減額請求権が被告にあることを定めたのではない。

その他、被告の就業規則等に賃金減額請求権を規定した条項はない。

仮に、被告が就業規則等に賃金減額請求権を規定したとしても、そのような規定は、労働条件向上の努力を労働関係の当事者に求めている労基法一条二項の趣旨に反するのであり、各原告と被告との間の各個別の労働関係を規律することはできない。

2 仮に、本件賃金調整が、真実、人員整理を回避するための措置であつたとしても、各原告の個別の同意がないのであるから、被告が一方的に賃金を減額支給することはできない。

(被告)

1 原告らは、いずれも被告との間で雇用契約を締結するに際し、雇用後の雇用条件については被告作成の就業規則等の規則に従うことに同意している。

ところで、被告の賃金規定六条は、「行員の給与は定期的に毎年一回審議され、行員の勤勉、能力、その他の功績を考慮し、その価値がある場合銀行の判断により昇給する。また、銀行が必要と認めた場合はいつでも昇給できる。昇給資格の水準に達しない行員は昇給しない。」と定めている。このことは、賃金改定についての決定権が被告に存することを明らかにしているとともに、被告にとつて当該従業員の労働の価値が従前に比し減少した場合にはマイナスの昇給としてその賃金を減額することのできることを定めているのである(格付けの変更は資格規定に基づいた是正措置であつて、降格ではない。)。

本件賃金調整は、右規定に基づいてなされたのであり、しかも、この措置には次に述べるとおり合理的理由が存したのである。

2 本件賃金調整は、被告の未曽有の業績悪化による経営危機に対応するため、本件合理化の一環としてなされたのである。

また、本件賃金調整は、能力や担当業務に比して不当に高額の賃金を支給されていた原告らについても雇用を確保しつつ、本件合理化を実施するために採られたやむをえない措置であつた。

すなわち、本件賃金調整は、整理解雇(整理解雇が実施されたならば原告らの相当数の者がこの対象となつていた。)が不可避な状況の下で犠牲の大きい人員整理を回避する手段として実施されたのである。

3 使用者は、企業再建のため必要性が認められる場合、解雇権の濫用にわたらない限りでの整理解雇をなすことが認められているのであるから、これを回避するための労働契約内容の一部変更に過ぎない本件賃金調整については、就業規則に明示の規定が存すると否とにかかわらず被告においてなすことができると解すべきである。

原告らの本件賃金調整後の賃金額は、他の企業の賃金水準と比べて遜色のないものであり妥当な額であるから、本件賃金調整による賃金減額支給の程度は相当なものである。

4 被告は、原告ら所属の三組合に対し、本件賃金調整を実施するに際し、これに関する説明をし、協力的・建設的意見を求めたいとして労使協議会に出席することを求めたが、右三組合は、いずれもこれに出席せず、団体交渉においても解雇を一切認めないし合理化の必要性も認めないとの態度に終始した。このような右組合の対応は権利の濫用であり、被告に労働契約内容の一部変更についての決定権を委ねたものと考えられるから、原告らが本訴請求をすることは権利の濫用である。

第三  争点に対する判断

一  本件賃金調整の有効性について

本件賃金調整は、被告の業績悪化に対応するための本件合理化の一環として実施されたのである。

なるほど、昭和六〇年代以降の全世界的な規模での金融界の再編成を発端として、銀行業務をめぐる環境が厳しくなり、被告の資産内容も平成元年度以降急激に悪化し、同年末の被告の資産規模は全米で第二位であつたにもかかわらず、時価総額では大手一〇行中最下位にまで転落し、被告の信用度の格付けも昭和五九年度には最上級のトリプルAであつたものが、平成二年九月には最下位寸前にまで転落し、このまま放置すれば買収、合併の危機が懸念されるまでに至つたというのであるから、これに対処するために経費削減を図るという本件合理化は、被告の経営方針として被告が自主的に決定し、実施すべき事柄である。

しかしながら、本件合理化の一環としての本件賃金調整は、各原告の賃金を被告において各原告の同意を得ることなく一方的に減額して支給するという措置を実施するものであつて、各原告の賃金基準は原告ら所属の労働組合との間の労働協約によつて定まつていたというのであるから、この内容は各原告と被告との間の労働契約内容となつていたといえる。

ところで、労働契約において賃金は最も重要な労働条件としての契約要素であることはいうまでもなく、これを従業員の同意を得ることなく一方的に不利益に変更することはできないというべきである。

この意味において、本件賃金調整は、被告が各原告の同意を得ることなく、一方的に労働契約の重要な要素を変更するという措置に出たのであるから、何等の効力をも有しないというべきであり、このことは、本件賃金調整に被告主張の合理性が存したとしても異なることはない。

被告は、本件賃金調整は、賃金規定六条に根拠を有する旨主張するが、同条は、前述した文言から明らかなとおり従業員の「昇給」について定めているのであつて、賃金を減額支給することには何等言及していないばかりか、被告が従業員の賃金を従業員の同意なく一方的に減額するということは、当該従業員にとつて一種の不利益処分であるから、これにはそれなりの明確な定めがなされていなければならないというべきところ、同条の定めは右のとおりであつて、この点に関しては明確な定めをしていないから、同条は本件賃金調整の根拠規定とはなり得ず、したがつて、被告の右主張は採用できない。

また、被告は、本件賃金調整は原告らの相当数の者が対象となつた犠牲の大きい整理解雇を回避するためのやむをえない措置である旨主張する。

しかしながら、被告は本件合理化の一環として整理解雇という措置を選択することなく、本件賃金調整という措置を選択したのであるから、この措置の有効性のみが問題となるのであつて、整理解雇という措置を選択しなかつたことをもつて本件賃金調整を有効とすることの根拠とすることはできないし、また、整理解雇の有効性についての判断がなされ、この有効性が確定してはじめて本件賃金調整よりも整理解雇が原告らにとつて犠牲が少ない措置であるということがいえるのであつて、整理解雇という措置がなされていないのに、これとの対比で本件賃金調整が原告らにとつて犠牲が少ない措置であるなどということもできない。

したがつて、この点に関する被告の主張も採用できない。

さらに、被告は、使用者は企業再建のための必要性が認められる場合には整理解雇をなすことが認められているのであるから、これを回避するための本件賃金調整措置は就業規則に明文の規定がなくとも否定されない旨主張する。

なるほど、使用者は解雇権の濫用にわたらない限り労働者を解雇することができる(民法六二七条、労基法二〇条)が、このことは、当事者の一方に継続的雇用関係を長期間拘束することは不当であることから認められているのであつて、本件賃金調整とはその趣旨、要件、効果が全く異なり、これを単純に比較して、前者が認められるからその後者も認められるべきであるとすることには論理の飛躍があつて、到底肯認することができない。

ましてや本件賃金調整は、前述したとおり、労働契約内容の賃金という重要な要素を各原告の同意を得ることなく一方的に変更するのであるから、明確な根拠を有しなければならず、使用者は労働者を解雇する権利を有することをもつて、この根拠とすることはできない。

したがつて、この点に関する被告の主張も採用できない。

最後に、被告は、原告ら所属の三組合は本件賃金調整に非協力的であつたから、各原告の本訴請求は権利の濫用である旨主張する。

しかしながら、原告ら所属の三組合が本件賃金調整に対しいかなる対応をするかは当該組合の自主的に判断されるべき事柄であつて、組合の対応が非協力的であつたとか、解雇に反対していたとかのことをもつて非難することはできない。

ましてや本件賃金調整は、各原告の賃金が減額されるという措置であるから、そもそも各原告が自主的に判断決定すべき事柄であつて、これに対し組合がいかなる対応をしたかは関係のない事柄である。

したがつて、この点に関する被告の主張も採用できない。

二  各原告の請求額について

以上のとおりであるから、本件賃金調整によつて各原告と被告との間の労働契約中の賃金基準の定めは何ら変更されるものではない。

したがつて、被告は各原告に対し、本件賃金調整前の賃金基準に基づいた月例賃金、これに基づいて算出される一時金及び退職金とこれらについての現実の支給額との差額金に対する支払日の翌日から支払済みまでの遅延損害金を支払う義務がある。

そこで、被告が各原告に対して支払うべき月例賃金、一時金及び退職金について検討する。

1  月例賃金について

被告は各原告に対し、本件賃金調整前の賃金と本件口頭弁論終結時までの間の本件実際支給賃金との差額の本件請求差額賃金及びこの差額賃金に対し、これに対応する別表整理番号1ないし46各記載の各「月例賃金分」の各「支給年月日」欄の日の翌日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

ところで、別表(二)「定年表」記載の各原告は被告に対し、平成六年七月から同原告らがそれぞれ定年に達するまでの同表各「終期」欄の年月まで、毎月二〇日限り、右「月例賃金分」の各「支給年月日」欄平成六年六月二〇日に対応する各「請求金額」欄記載の差額賃金及びこれに対する右支払日の翌日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払をも請求している。

しかしながら、本件口頭弁論終結時以後である平成六年七月からの月例賃金については、被告が各原告に対して将来に亘つて支給するであろう月例賃金と各原告についての本件賃金調整前の賃金との間に相当期間に亘り差額が発生するであろうことは容易に推認することができるので、この差額を各原告が被告に対し請求することのできることも前述したところから明らかであるが、右差額金の今後発生する期間を確定することもできないし、また、この差額も将来に変動することは容易に推認することができるから(別表整理番号1ないし46各記載の「月例賃金分」のみでも数回変動している。)、この差額を確定することもできない。

したがつて、この点に関する右各原告の将来請求は権利内容が不確定であるから理由がない。

2  一時金について

被告は、各期に従業員に一時金を支給するか否か、支給する場合の支給基準及び支給額についてはその都度決定し実施してきた(弁論の全趣旨)。

そして、本件支給一時金の各期における算出方法は、基本給、資格手当、職位手当、家族手当の合計額に各対象期間中の業績の査定(パフォマンス)に相応する月数を乗じて得た金額をもつて当該従業員の一時金額とし、右支給対象期間中に病欠、ストライキ等所定の事由によつて就労しなかつた日、時間がある従業員については、右算定によつて得た金額から所定労働時間中の不就労時間の割合に相応する金額を控除した金額をもつて当該従業員の一時金とした(弁論の全趣旨)。

なお、別表整理番号1ないし46各記載の各「一時金分」の各「同上計算式」の「勤評」下の数字は「査定(パフォマンス)に相応する月数」に当該従業員の「所定総労働時間中の不就労時間の割合」を乗じて得た数字であり、各原告の家族手当は右各「同上計算式」に記載されたとおりである(弁論の全趣旨)。

そうすると、本件賃金調整後の被告が各原告に支給すべき一時金は、右各「一時金分」の各「同上計算式」欄によつて算出されるから、右各「一時金分」の各「支給すべき金額」欄のとおりとなるので、被告は各原告に対し、右各「一時金分」の各「支給すべき金額」欄の一時金と本件支給一時金との差額の右各「一時金分」の各「請求金額」欄の差額一時金及びこの差額一時金に対し、これに対応する右各「一時金分」の各「支給年月日」欄の日の翌日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

3  退職金及び選択一時金について

退職年金規定によれば、退職年金受給資格者が退職したときは、退職者に対し退職年金を支給すること(七条一項)、退職年金の給付月額は退職時基本給月額に勤続年数別支給率(別表一、略)を乗じた額とすること(同条二項)、但し、退職年金の受給権者が支給期間中に災害、住宅の取得等の一に該当する事由によつて将来の年金の全部または一部の支給に代えて一時払の請求をしたときは、被告がこれを認めたときに限り、一時払の取扱(これを同規定の上では「選択一時金」と称している。)をすることがあること(一四条)、選択一時金の請求をした者に支給する選択一時金の額については、選択一時金請求時期及び選択割合に応じて次表(略)に定める額とすること(一四条二項)、選択一時金の請求を行つた者には、選択を行う前に支給すべき退職年金と同一支給期間の退職年金を支給すること、但し、退職年金月額は、選択一時金選択割合に応じて次表(略)に定める額とすること(同条三項)が定められている。これによれば、定年により退職した原告らのうちの番号4、9、12、13、15、21、29、35、44の各原告が支給されるべき選択一時金及び退職年金(但し、退職年金については番号4、29、44の各原告のみ)の計算式(但し、弁論の全趣旨によれば、番号4、29の各原告が五〇パーセント、番号9、12の各原告が七〇パーセント、番号44の原告が六〇パーセント、番号13、15、21、35の各原告が一〇〇パーセントであることが認められる。)は、当該原告に対応する各別表整理番号各記載の「選択一時金分」及び各「退職年金分」のとおりである。

したがつて、被告は同各原告に対し、同整理番号各記載の各「支給すべき金額」欄の選択一時金、退職年金を支給すべき義務があつたから、これらと本件支給選択退職金、本件支給退職年金との各差額の同整理番号各記載の「請求金額」欄の差額金及びこれに対し、これに対応する同整理番号各記載の各「支給年月日」欄の日の翌日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払義務がある。

(裁判長裁判官 林 豊 裁判官 小佐田潔 裁判官 蓮井俊治)

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